2021年07月25日 コロナ禍のなかで タイは雨季ですが、日本では梅雨明けをして、予想通り猛暑が続いています。タイより暑いかも、と思ってしまいます。というのは、日本の暑さは気分が悪くなることがあり、ここがタイとは違うところのようです。温暖化が進み、亜熱帯化するなかで、タイなどの熱帯の生活様式がしだいに取り入れることになるはずです。それにしても、この気候でオリンピックは競技ができるのでしょうか? さて、今月半ばに機会を得て、コロナワクチンの1回目接種を行いました。日本なのでモデルナでした。これはその日の夜から次の日にかけて、左肩がぶつけたように固くなり、痛くなりました。しかし、3日後には収まって行きました。私は注射は痛いので嫌いなのですが、現職場から4人コロナ陽性者が出たため、またワクチンパスポートを取るため我慢した次第です。コロナビールスと時間の競争になっています。タイではシノバックもかなり使用されているとのこと、そこからは東南アジアでの中国の影響の大きさを感じます。 タイの感染者再拡大の状態から、旅行の再開は思ったより先になりそうですが、この最近は都議会選挙、中国共産党100周年、オリンピック開催と、行事が続いています。オリンピックは現内閣の存亡をかけた行事なので開催を強行しましたが、差別発言、ナチスのホロコーストを揶揄するなど不祥事が続出し、コロナが再拡大で無観客、緊急事態宣言と盛り上がらないです。1964年の1回目の時とは大違いです。これは登り坂と下り坂という時の流れ、ということでしょう。日本の凋落と精神的な退廃がはっきりしてきたようです。NHKをはじめとしてテレビは必死に放映していますが、ネットはそうではありません。ネットユーザーからすると違和感を感じます。テレビにかじりついて見ているのは、常に与党を支持していて、しかし社会的には遅れた、後退的な層ということが分かります。ボッタクリ男爵以下IOC委員の笑顔が憎らしく感じます。 一方、次の冬のオリンピックは中国の北京で開催されるとのこと。北京Beijingは元々は漢民族よりも北方遊牧系とのかかわりが深い土地でしたから、冬の寒さ、雪が期待できるということでしょう。習近平政権は香港を弾圧し新聞アップルデイリーを廃刊に追い込み、100周年記念党大会を開催、北京オリンピックへと、進んで行くようです。 その100周年大会で習近平主席は「われわれは決して、教師づらした偉そうな説教は受け入れない」と述べ、中国モデルを批判する欧米諸国の干渉を一蹴する姿勢を鮮明にしました。日本はこの勢いにすでに圧倒されていて、習近平を止められるのはバイデン米大統領しかいない状態かもしれません。感覚的にも今は日本に来ている中国人の方が日本人よりお金を持っていて、アジア各国でも金払いの良い中国人旅行者を歓迎するようになって来ているのが現状です。海外に住む場所が彼らに席を取られて無くなるのでは、とふと心配さえしてしまいます。 テレビもそうですが、都議会議員選挙では小池都知事のしたたかな計算が一番の勝利者だったようです。無党派層と言われる部分はうまく操られたように感じました。これで小池百合子は自分を高く売り込めることになりました。 ニューヨークや東京などの大都市の場合、保守政党支持層は田舎のそれとはだいぶ様相を異にしています。いわば都会は勝間和代や村上ファンド、ホリエモンやひろゆき、竹中平蔵、古くは米ブッシュ政権などに象徴されるいわばワールドビジネスサテライトを見るような人々ということでしょうか。小室圭からも同じ臭いを感じます。 彼らは新自由主義者と呼ばれていますが、もともとは新保守主義と呼ばれていました。彼らの特色は中間層出身であること、個人主義的であること、ということでしょうか。ここが田舎の保守層とはだいぶ違うところです。日本では日本維新の会、都民ファーストの会などがその受け皿になりたい、と感じているようです。自民党とはその層の奪い合いになります。 この考え方の出自には大学生などが持っている自己実現という願望があって、その中で社会的な抑圧と闘い、公正さを求めるのではなく、自分が生かせるなら何でも良いではないか、私は指導する立場だ。私は良い環境で育ち、能力のあるエリートなのだからそれにふさわしい身分を求める、というのがこの部分になって行きます。欧米ではかつて世界革命を求めた若者の一部が活躍できるなら何でも良い、という風に変化して行きました。ラムズフェルド、チェイニー、といったブッシュ政権のネオコンはこういった部分のようです。経済成長で裕福さ、能力など、例えば高級車などを見せびらかす、羨望を抱かせたい、という欲望が肥大した大学生層がいますが、彼らが新保守の支持層の核になっていることは言うまでもありません。 彼らの一番の害は、無責任なので社会を壊滅してしまうことにあります。自己責任、は彼らのキャッチフレーズです。失敗は能力が無いからだ、と社会的弱者の自尊心を破壊してしまいます。自分以外は全てが競争相手なので、常に闘っていなければなりません。成功したらパラダイスに脱出して楽しく暮らす、他人のことなど知らん、自分さえよければ良いということを臆面もなく実践する立場です。 これは伝統的な保守とは全く違う態度です。保守の指導者は人々に対する責任を受け入れますから。 空港ではそういった部分を見かけることが多くなります。私は国境を越えて活躍できるエリート、裕福だ、ということを感じたい人々です。 バックパッカーとは対極的な方向の人々だと感じます。私は旅行、という同じテーマの日本人であっても、心に一致するものが無ければ、仲間も仲間ではない、と思います。海外というテーマでも例えば大使館員や駐在員とバックパッカーは対極にあるのと同じかなと思いました。 写真は最近、見つけた食材で、どれもなかなか美味いですが、なかでも私のお気に入りはカルディーコーヒーファームで買ったトムヤムカシューナッツです。 Tweet